[237] 胡蝶の夢 - the Dream of Life Mori@管理人 2005/11/19 (Sat) 21:17 不知是莊周做夢成蝴蝶 還是蝴蝶做夢成莊周 - 莊子 (私が夢見て蝶となっているのか、あるいは私となった夢を蝶が見ているのだろうか?)*****************************サイトの更新:「月の魂」を公開しました。 展示にあたって、人物の表情をこちらに。 大分印象が違うと思いますから。上記の文はよく知られていますね。ダオイズムに関して教わった時に、教授が中国人の方だったので、実際にいくつか文章を読み上げてくれたのですが。そのときの発音の高低のかかり方が異様に印象に残っていました。でもこれ、どこかで先に知っていたような?と首を捻っていた時、ああ、司馬遼太郎著 『胡蝶の夢』がきっかけで先に聞くだけは聞いていたんだと、はたと気が付いたということがあります。最近気になった事でも書いてみましょうか。アナウンサーや朗読者の声などを聞き流していると、かなり発音や読みが以前と変わってきている気がします。今に始まった事ではないのですけれど。ちょっと変?と思う事も増えました。数例をあげますと、詩人・北原白秋は水郷柳河を故郷としていますが、水郷って「すいごう」と読みますよね。ところが、TV画面上で「すいきょう」と読んでいる。あと、入水は「じゅすい」あるいは「にゅうすい」ですが、状況によっては先の読みのほうが合う場合でも「にゅうすい」にとか、静脈は一般的には「じょうみゃく」ですが「せいみゃく」と読んだのもいるし、今はそちらに読みが統合されたのか、それとも?と考え込みます。結構辞書にも見出し語として両方を参照としているケースも多いし・・・うーん。発音面では、「クラブ」などは末尾の高低が10年程前と現在とは逆になっているようですし。(現在は上がり気味で終えるのが一般的)これ、街の女子高生だけではなく、世代入れ替わりもあってアナウンサーもそうなってきているんですね。まあ、時代にあわなくなった読みや発音をしている場合、古い定説は振り落とされていくのは仕方がないか、というのはあります。意味だって変わっていってしまいますしね。ただし聞いてるほうにしてみれば、場合によっては発音や読みの参考にする気でいるわけですから。時流からみても合っている読みや発音が、参考にしたら間違った、なんてことになればキャー!じゃないですか。 Tweet Share △
[236] 展示無事終了しました Mori@管理人 2005/11/09 (Wed) 01:19 先日の二人展ですが、無事終了いたしました。 当方はサイト上で人気のあった「いまだ存在する」「ゴルゴン」「IL MOMENTO」「FLY」等を始めとして、油絵・ペン画を含めた18点ほどを展示させていただきました。基本的に色を多数使う私の作品に対して、山田様のほうがモノクロに近い作品が多かったため、丁度逆の感じになり、正反対の作品だと楽しんでいただけたようです。ありがとうございました。 会場の様子などをこちらに少し展示しておきます。今回の件で、大阪のほうに足を伸ばしてきました。日帰りになってしまって、ちょっともったいないので、老松通りを少し歩き回ったあと、帰りの新幹線が来る前に現代美術館のほうにも足を伸ばしてきました。トリッキーな印象が先立ちましたが、楽しく作品に欺かれるというか。その後神戸ケーニヒスクローネの抹茶ケーキをお土産にして帰還しました。このケーキですが、岐阜・美濃焼の小型の壷の中に、ケーキが入っているもの。東京でも売ってはいるようですが、なかなかお土産でもないと買う事もなさそうと思い購入。とても・・・おいしい。底の方に板状のチョコレートが入っているのでかなり甘め。また食べたいものです。今回の展示、祖父の入院前には決まってたんですが、祖父は絵には関心がなかった筈にもかかわらず、ただ喜んでくれて、それが嬉しい事でした。それもあって、きちんとやりたかったのですけれどね。 Tweet Share △
(私が夢見て蝶となっているのか、あるいは私となった夢を蝶が見ているのだろうか?)*****************************サイトの更新:「月の魂」を公開しました。
展示にあたって、人物の表情をこちらに。
大分印象が違うと思いますから。上記の文はよく知られていますね。ダオイズムに関して教わった時に、教授が中国人の方だったので、実際にいくつか文章を読み上げてくれたのですが。そのときの発音の高低のかかり方が異様に印象に残っていました。でもこれ、どこかで先に知っていたような?と首を捻っていた時、ああ、司馬遼太郎著 『胡蝶の夢』がきっかけで先に聞くだけは聞いていたんだと、はたと気が付いたということがあります。最近気になった事でも書いてみましょうか。アナウンサーや朗読者の声などを聞き流していると、かなり発音や読みが以前と変わってきている気がします。今に始まった事ではないのですけれど。ちょっと変?と思う事も増えました。数例をあげますと、詩人・北原白秋は水郷柳河を故郷としていますが、水郷って「すいごう」と読みますよね。ところが、TV画面上で「すいきょう」と読んでいる。あと、入水は「じゅすい」あるいは「にゅうすい」ですが、状況によっては先の読みのほうが合う場合でも「にゅうすい」にとか、静脈は一般的には「じょうみゃく」ですが「せいみゃく」と読んだのもいるし、今はそちらに読みが統合されたのか、それとも?と考え込みます。結構辞書にも見出し語として両方を参照としているケースも多いし・・・うーん。発音面では、「クラブ」などは末尾の高低が10年程前と現在とは逆になっているようですし。(現在は上がり気味で終えるのが一般的)これ、街の女子高生だけではなく、世代入れ替わりもあってアナウンサーもそうなってきているんですね。まあ、時代にあわなくなった読みや発音をしている場合、古い定説は振り落とされていくのは仕方がないか、というのはあります。意味だって変わっていってしまいますしね。ただし聞いてるほうにしてみれば、場合によっては発音や読みの参考にする気でいるわけですから。時流からみても合っている読みや発音が、参考にしたら間違った、なんてことになればキャー!じゃないですか。